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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)1031号 判決

被告 国民相互銀行

理由

一、請求原因1の各事実は当事者間に争いがない。

二、原被告間の本件約束手形金債権に関する仮差押およびその本案訴状の経緯は、《証拠》を総合すれば、次のとおりであることが認められる。すなわち、被告は、昭和四四年一一月六日別紙目録(一)および(二)の手形債権(額面合計金二〇〇万円)の執行保全のため、原告の預託金返還請求権について仮差押命令の申請をなし、翌一一月七日にその旨の仮差押決定を得て執行したこと、同月一二日原告に対し、(一)ないし(七)の手形全部(額面合計金五六七万六、二〇〇円)の手形金請求訴訟を提起したこと、同年一二月九日(三)および(四)の手形債権(額面合計金一七〇万円)の執行保全のため、前同様原告の預託金返還請求権について仮差押命命の申請をなし、同月一二日その旨の仮差押決定を得て執行したこと、しかし、(五)の手形については同月三一日、(六)および(七)の手形については昭和四五年二月二八日いずれも原告において決済したこと、そこで、原告は、同年三月二四日前記各仮差押決定に対し異議を申立てたこと、そして、同月三一日前記手形訴訟の口頭弁論期日において、被告は既に支払いを受けた(六)および(七)の手形金について請求の減縮をすると同時に、原被告間において、原告は(一)ないし(四)の手形についてその支払義務あることを認める旨の裁判上の和解が成立したこと、被告は、同年五月八日右和解調書につき執行文の付与を得てのち、仮差押をしていた前記預託金返還請求権につき債権差押・転付命令を申請し、同月一八日第三債務者である支払銀行に右命令が送達されたこと、そこで、被告は、同年六月四日仮差押の申請をいずれも取下げたこと、以上のとおり認められる。

三、そこで、右のような事実関係の下において、原告主張の不法行為の成否について検討する。

1、《証拠》によれば、被告が、前示仮差押の申請およびその本案訴訟の提起をなした当時における原告の財産状態ならびに原告が、(一)ないし(四)の手形につき、支払を拒絶したうえ、不渡処分を免れるために預託をした事情は、請求原因2記載のとおりであることが認められる(なお、証人竹下弘の証言によれば、被告は当時、年間売上げ高は五億一、二〇〇万円、純利益は、一、九六〇万円の実績をあげていたことが認められる。)してみると、原告は、当時客観的にみれば、「支払停止の状態」になかつたことはもとより、債権者である被告において、現状維持をしなければ将来の執行が不能または著しく困難になる恐れ、すなわち仮差押の必要性もなかつたものというべきである。なお、成立に争いのない乙第三号証の一、二によれば、本件各手形の裏書人である有限会社柴金商店は、昭和四四年一〇月四日銀行取引停止処分を受けたことが認められるが、振出人である原告の手形上の責任は、右会社とは別個独立のものであるから、このことの故をもつて、原告に対する仮差押の必要性は左右されるものではない。

2  そうすると、被告は、仮差押の必要性がない場合であるのに、虚偽の主張疎明をもつて仮差押命令の申請をなし、その旨の仮差押決定を得て執行したことになるものというべく、進んで、この点につき被告に故意もしくは過失があつたか否かを検討すると、前掲《証拠》によれば、被告銀行審査部において、原告の資産調査をしたところ、原告には特にみるべき財産はなにもなく他にも相当借財があり、早晩倒産する恐れが多分にあることが判明したというのであるが、前示のような事実関係と原告の資産状態とに徴すれば、真実右のような資産調査をなしたか否かの点についてすら疑わしい(ちなみに、仮差押命令の申請の際、その必要性を疎明する資料として提出される報告書には、右のような定型的・例文的記載が往々にしてなされていることは当裁判所に顕著な事実である。)のみならず、かりにそのような調査を行なつたにしても、その方法の安易軽卒であることは想像に難くなく、被告が銀行であるという点をあわせ考えると、必要性の疎明が保証金によつて代用されることもありうるという点を考慮しても、なお、特段の事情のない本件では、被告が漫然と前記仮差押命令の申請をした点に過失があつたものと推認するのが相当である。この点に関し、被告は、原告のなした預託は不当であつて、このような預託自体が、客観的には、支払義務者である原告の資金能力に不安を抱かせるものである旨主張するので、この点につき考える。なるほど、原告が東京銀行協会に異議申立提供資金として預託したのは被告主張のとおり、手形の支払を拒絶できる正当な理由がなく、単に本件手形が柴金商店に対する融通手形であるという理由につき、しかもこのことは柴金商店から譲渡をうけた善意の被告には本来対抗できない事由であるから、原告は法律上の理由がないのに手形の支払を拒絶し、しかも銀行取引停止処分を免れることとなり、原告のこのやり方は言わば制度の濫用である。したがつて、被告が原告のこの措置を非難するのは当然であり、原告がかかる理不尽な仕打をしておきながら、本訴で被告のなした預託金に対する仮差押を不当不法だと問表することは、英法にいうクリーンハンドの原則(わが民法七〇八条の法理を一般化した原則)にもとるものといわれても仕方がない。

しかし、さればといつて、かかる預託がなされたからといつて、被告があらぬことを書き立てて必要もないのに預託金に仮差押申請をなすことが合法化されるものでもない。すなわち、手形支払義務者が手形の支払銀行に預託するいわゆる預託金は、手形支払義務者が支払銀行に異議申立を依頼するにつき、支払拒絶が支払能力の欠如によるものではなく、その信用に関しないものであることを明らかにし、かつ支払銀行が銀行協会(手形交換所)に提供する異議申立提供金の見返資金として預託するものであり、これによつて、手形自体の信用が保障されるものではないにせよ、手形支払義務者の信用が一応疎明されるものであるから、本件の場合、被告が、原告の預託行為自体をとらえて、原告の資産状態の悪化ひいて仮差押の必要性を推断したとすれば、それはいささか軽卒のそしりを免れない。

3  そこで、さらに、原告主張のような損害の発生の有無の点につき考えてみるに、証人竹下弘の証言中、被告の行為によつて原告の信用が毀損されたとの供述部分は、具体的内容に乏しく、にわかには措信し難いものがあり、その他この点に関する原告の主張事実を認めるに足りる証拠はない。よつて、請求原因3の(イ)記載の不法行為の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないものといわなければならない。

4  なお、請求原因3の(ロ)記載の不法行為の主張につき考えるに、訴の提起時において、(三)ないし(七)の手形につき、満期前遡求の実質的要件(手形法四三条参照)を欠いていたこと原告の指摘するとおりではあるが、このことだけからその主張するように原告の信用を毀損する濫許であるということはできないし、それによる損害発生の点の証明もない。

よつてこの主張も採用しない。

四、以上のとおり判断されるから、不法行為の成立を前提とする原告の本訴請求は理由がないものとして棄却すべきものである。

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